真鍋島にんにくの加工を始めて間もない頃、わたし達はこの島を訪れた観光客のひとりに、前年わたし達が作ったしょうゆ漬をご賞味していただきたい、とおそるおそる差し出しました。その人がにんにくの、いわゆる〝通(つう)〟だと聞いていたからです。
大酒飲みの彼は魚料理に舌鼓を打ちながら、上機嫌でわたし達の申し出を受け入れてくれ、それから思いの他真剣な面持ちで話してくれました。
翌朝、もう一度訪ねた時、彼は悪びれもせずに言いました、「酩酊して話したことは何ひとつ覚えていない。しかし全てひとかけらの偽りもなしに話したという確信だけははっきり残っている」と。実際、彼の話はすばらしかったし、あれから4年も5年も経つのに、わたし達は未だ彼の話を追いかけ続けて、到達したという実感は全くない。
彼の話とは、(1)「高過ぎる」と酷評されていたわたし達のにんにく商品は、価格に充分見合って余りあるだけの価値がある、もっと自信を持ってもいい。(2)にんにくにはマニアがいる。マニアは世の中には想像以上にいるはずで、この商品はそうしたマニアにこそ販売すべきで、マニアをつかむ方法を考えるべきだ。(3)このみ(嗜好)の問題だが、わたし自身はこの商品よりももう少しアクの強いしょうゆ漬けがいい。にんにくの味というのは、アクで勝負をするんだ、というものでした。
にんにくの加工は、アクで勝負をするということ、もう少し具体的に言うと、そのにんにくの最高の味をひき出せるようなアク抜きの加減をつかめるかどうかということ、それが勝負だということに気づくのに4年以上かかったし、勝負には未だ勝てたとは言えません。
わたし達のしょうゆ漬けは、アク抜きをしてしょうゆに漬け込んだ後、2年以上経ったものを販売しています。2年先でないと勝負の結果はわかりませんし、わかったとしても、もちろんやり直しはできません。気の遠くなるような試行錯誤を続けることになりますが、しかし自分達が直面しているこの〝勝負〟さえわからなかった時期がありました。
2年経ったので少しは〝まろやかな味〟になったかなと期待して試食したところ、辛くて食べれませんでした。知り合いの漁師の友人に食わせても、「わしは、辛いものはなんでもござれだが、これはちょっと半端じゃない」と顔をしかめました。使っているしょうゆのせいかと思って、にんにくとしょうゆの塩分濃度を調べたのですが、納得できるような結果はなく、加工のどこが悪かったのだろうかと頭を抱えました。
ふと、思い出したことがありました。以前、岡山市や倉敷市のフランス料理店や中華料理店20軒に生の真鍋島赤にんにくをお送りして感想を求めたことがあります。20軒のうち同封のはがきに感想を寄せて下さったのは2軒だけでしたが、そのうちの1軒の中華料理店は簡潔に「辛さ抜群」とだけ書いていました。もちろん褒めてくれていたんです。そして、はじめて気がつきました。しょうゆ漬けの辛さは塩辛さではなく、アク抜きが不充分だったために残ったにんにくそのものの辛さだった、と。
辛いしょうゆ漬はそのままビンの中に寝かせて、3年経ち、4年が近づい頃、思いがけなかった変化を起こしていました。辛さが薄れ、にんにくの旨みが出ていました。「アクで勝負」というのは、人工的なアク抜きだけでなく、長い時間の中で待ち続けることも含む、とその時知りました。そして真鍋島赤にんにくはしょうゆの中で、4年経っても変わらぬ食感を維持できるにんにくなのだ、と少し誇らしく思いました。
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