赤にんにくは、もともとは山口県の日本海沖にある大島で「ご当地野菜」として栽培されている「大島赤丸にんにく」を原種としています。「大島赤丸にんにく」はすでに山口県内の種苗業者によって商標登録されているため、その名称を使うことはできません。
大島には一度だけ行ったことがありますが、日本海沖というイメージとは違って、風も島を包む潮の香りも、瀬戸内海の真鍋島と共通するものを感じました。冬にも、雪はほとんど降らない、ということでした。
わたし達は真鍋島でにんにくを栽培するにあたって、沖縄にんにく、平戸にんにく等何種類かの暖地系にんにくを試験的に作ってみたのですが、栽培技術が未熟で、全くの手さぐりで始めた時でもあって、試したにんにくがことごとく腐敗してモノにならなかった時、唯一この赤丸にんにくだけが生き残ってくれました。「この島を選んでくれたにんにく」という想いを強くして、以来10年間、この時のにんにくを原種として、真鍋島赤にんにくの栽培を続けています。
にんにくはトマトと同じく、もともとは中央アジアの荒れ地に生育していた作物だと言われています。トマトは人の手によって多くの品種改良が行われ、たぶん最初のものとは似ても似つかぬものになっているかも知れませんが、ただ、どんなに変わっても、トマトの中には自分が荒れ地で生きたという記憶が遺伝的に組み込まれています。だからトマトの栽培においては、この遺伝的な荒れ地の記憶、つまり自己の生命力を高めるような栽培方法が肝要になります。
にんにくの栽培についても、トマトの場合と同じことが言えるはずですが、にんにくの場合には生育のどの時点で、どのような手法で「荒れ地の記憶」を引き出すかということが確立されていません。
「荒れ地の記憶」というのは、植物にとっては、生育には過酷な環境で、自己の生命力を最大限に高めることによって辛うじて生き残った記憶です。にんにく栽培でこの記憶を引き出すためには、やはり過酷さの疑似体験が必要だと考えました。そしてその時、初めて真鍋島の畑の土壌というものに向き合うことになりました。
真鍋島では畑の土壌を表現するのに、「真土(まつち)」と「砂地(すなじ)」という言葉を使います。一般には「真土」という言葉は耕作に適した良質の土壌という意味で使われますが、真鍋島の「真土」は粘土質の粗い土壌を意味していますから、地域の固有な表現です。
わたし達がにんにくを栽培するのは急傾斜の山畑で、苦労して土壌改良した畑の表層の豊かな土は、大雨の度に下へ流れ落ちて、硬い真土が顔を出します。こんな土でモノが作れるのだろうかという絶望感に襲われながら、再び土起こしにとりかかったものです。
島の古老はこんな風に言います、-「砂地は作りやすくて大きいモノができるけど、砂地で作ったモノには実が入っとらん。真土のモノは手間がかかってしんどいけど、真土のモノには実が入っていて、かたく締まっている。タマネギを同じ籠で背負っても、真土のタマネギは砂地のものよりもずっと重い」と。
あるいは、真鍋島で花卉栽培が盛んだったころ、不思議がられていた話があります。「切り花にして活けると、普通の菊は4,5日で枯れてしまうのに、真鍋の菊は水さえ足してやればひと月でももつ」と。真鍋の菊は、山を開墾したこの真土の畑で栽培されていました。
一般的には耕作に不向きな「擬土(でもつち)」に分類されるはずの真鍋島の真土が持っている力というのは、不毛とも思える土が、作物の生育にとっての厳しさの疑似体験をさせて、それによってその作物が本来持っている原初的な生命力を引き出す、ということにあると考えました。手法は違いますが、有機栽培や自然農法が追及しているものと通底するように思います。
もちろんわたし達が求めているのは、太古のトマトやにんにくの復元ではなく、現在のこの島の可能なにんにくです。引き出された生命力に生育のそれぞれの段階で、どのように手を加えていけば生命力のあるにんにくを収穫できるのか、毎年やり直しのできない試行を繰り返しながら、未だ確たる答えを見いだせていません。
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